大山甚七商店の本格芋焼酎は、薩摩半島の最南端、
指宿市宮ヶ浜で製造されています。
豊かな水環境を有するソーメン流しで有名な唐船峡(国土交通省の水の郷百選に認定)も近く、
宮ヶ浜に湧き出る蔵地下水を仕込水として使っています。
年間平均気温は、暖流の影響で約19度と高く、亜熱帯的な気候のため、ソテツが自生し、
幸せを呼ぶ熱帯蝶のツマベニチョウが乱舞する北限の地とも言われています。
宮ヶ浜蒸留所で使用されるさつまいもは、南薩の温暖で肥沃な大地の恵みそのものです。
「日本のハワイ」と呼ばれる指宿の地で厳選した地元産の原料(水、さつまいも)によるこだわりの芋焼酎を端正込めて製造しています。
明治八年(1875年)より悠久の時を超えて、
代々受け継がれた伝統技術とかめ壷を大切に守りぬき、
未知の味との出会いをお届けします。
当蔵元で造られる焼酎は、独特の個性的な味。 往年の芋焼酎ファンのお客様には、「味も造りもしっかりしている。」とご支持を頂いています。 当蔵元の味の特徴として、焼酎の旨味成分が口いっぱいに広がり柔らかく染み渡っていきます。 香りの特徴は、さつまいも本来の癒される甘い香りと言えます。 また、今泉島津家の城跡周辺で採取した土壌から分離・培養した篤姫酵母を用いた「天翔宙」の開発や 米スペースシャトル・エンデバーに搭載し無重力状態で培養された篤姫酵母を用いた宇宙焼酎の開発など、 革新的なアプローチによる焼酎造りに取り組んでいます。
大山甚七商店の前身である大山呉服店。
初代大山甚七が作り上げた、大山甚七商店の前身となる大山呉服店は、呉服と布団(カクイわた)などを取り扱う傍ら、富久泉という銘柄の芋焼酎の製造販売を行っていました。
これが現在に至るまで引き継がれ続けてきた芋焼酎作りの源流であり、古きの想いを今もなお守りつつ新しい道を模索する志の始まりの場所と言えます。
明治八年、芋焼酎の蔵元として創業した大山甚七商店は、現在にいたるまで、数々の銘焼酎を作り続けてきました。その芋焼酎の味わいは、歴代の「甚七」と、それを支え続けてきた職人たちによる百年を超える技術と想いが凝縮されて生み出されています。
築き上げられた想いと味は、代々伝わる製法で造られた芋焼酎「甚七」や、四代目甚七が考案し開発された銘焼酎「薩摩の誉」を始めとする、全ての銘柄で今も味わうことができます。
大山甚七商店と、「甚七」たちの思いは未来へと進み続けます。
2011年5月16日21時56分(日本時間)、宇宙に向けて飛び立ったスペースシャトル・エンデバー号の最終フライトに積み込まれた酵母と麹菌は、国際宇宙ステーションにおいて約16日間の宇宙滞在を経験し、6月1日15時5分(日本時間)に無事NASAケネディ宇宙センターに帰還しました。
その「宇宙酵母」と「宇宙麹菌」は「鹿児島宇宙ミッション実行委員会」参加蔵へと頒布される予定となっています。
そしてその中には指宿市の篤姫ゆかりの今和泉島津家別邸跡地から採取した土から、鹿児島大学農学部焼酎学講座「北辰蔵」において培養を重ね、分離に成功した「篤姫酵母」も含まれていました。そこから新しい味が生まれるかはまだわかりません。
しかし、新しい道に挑戦し続ける大山甚七商店の「甚七」とそこに集う職人たちはこれからも芋焼酎の世界を広げ続けます。
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